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3年B組 金八先生 [文化全般]

武田鉄矢が教師役の学園ものテレビドラマ。
桜中学の3年B組を担任する坂本金八先生が、様々な問題に生徒の立場で取り組み解決していく過程を描いたストーリー。
1979年にシリーズ第1作が放映されて以来、連続もの、特番形式を織り交ぜて、長らく人気シリーズとなった。
それまでの学園ドラマは、中村雅俊などが熱血教師役のいわゆる「青春」ドラマだったのが、戦後民主主義の退潮に合わせて、それよりもリアルな、現実の教育問題などをまじめに扱うドラマとして制作されたのが、斬新で支持された。

一時期は「人という字を見てください。支え合って立っているでしょう。だから人は支え合わなくちゃいけないんです」などの名セリフがギャグ化するなど、多少アナクロ化していたが、後年のシリーズでは、時宜を得た諸問題も盛り込み、新機軸を打ち出して、新たな支持を集めた。

そのうち「第6シリーズ」と呼ばれる、2001年から2002年にかけて放映された分では、「性同一性障害」も主要テーマのひとつに据えられ、「男子になりたい女子生徒」役を上戸彩が好演して話題を呼んだ。

なおシリーズ第1作のとき、筆者は本当に中学3年生だったのだが、当時生徒役だった田原俊彦が『教師びんびん物語』で初めて教師役をした年に、筆者も大学を出て初めて教壇に立ったというのが、なかなか因縁を感じる。またそんなこともあって、拙著「女が少年だったころ」の原稿を書き始めたころには、『3年B組金八先生』云々という記述をよくしたものだが、それが出版されるときには、向こうのほうからテーマに近づいてきているなど、よもや思いも寄らなかったものである。(^o^;)

 


学習指導要領 [一般学術]

文部科学省が定めた学校教育の基準。学校行事の趣旨から、教科内容・カリキュラム、小学生が何年生でどの漢字を習うかまで、細かく規定している。タテマエ上はあくまでも、指導の目安ということだが、実際にはこの学習指導要領をもとに教科書などが作られ、事実上は強制力のある決まりになっている。

これの存在のおかげで、例えば極端なカルト宗教団体が信者の子供に偏った内容の教育を施すことなどを、公の教育とは認めずに排除することも可能となる。その一方、各学校・教師の自主性を奪い、また授業内容が教科書に拘束されるため、子どもたちにとって勉強が、おもしろくない知識の詰め込みになってしまうことにもつながりかねない。日の丸・君が代の取り扱いも盛り込まれているため、卒業・入学シーズンのたびに、ムダなもめごとが起こる原因にもなっている。

近年ではいわゆる「ゆとり教育」で、学習内容が異様に削られたことが、いわゆる学力低下論議も呼んだりもした。

 


隠れたカリキュラム [一般学術]

学校における、学習指導要領に主に基づき、教育基本法の理念に則った、正規の望ましい学習内容・指導プランなどが、いわば表のカリキュラムだとすると、そうではない、「裏の」カリキュラムも、教職員も気付かぬ間に潜在していることを指して、「隠れたカリキュラム」と呼ぶもの。
特にジェンダー観点から、男女の平等も含めた、人権や相互理解の概念を本来教えるべき学校で、逆に男女の区別や、それぞれの性別の「らしさ」、それに基づく性別役割分業を児童生徒に刷り込み、そのために世の中の性差別を強化・再生産している側面があることを意味する言葉として使われている。

具体的には、男女別名簿やランドセルなどの色の区別、教職員が無意識に持っているジェンダー観の投影、教科書などの教材に表れている世の中のジェンダー意識の影響などがある。

ちなみに「《隠れた》って、ナンで隠れてんねん、誰が隠してん!?」というあたりを明確にする意図で『隠されたカリキュラム』と言う場合もある。

 


ブルセラ [文化全般]

「ブルマー&セーラー服」の略。
1980年代の後半あたりに、いわゆる男性向けのエッチな雑誌として、女子高生のエッチなポーズや行為をモチーフとしたものがメジャー化する中で、それらを指して「ブルセラもの」などと呼ぶために使われ始めた語。
その後、女子高生の着用済みの制服や体操服、さらに下着などを売買する店が「ブルセラショップ」と呼ばれるようにもなったが、この「ブルセラショップ」のひとつが1993年に当局の摘発を受けてニュースになったため、結果として「ブルセラ」の語やその内実は、さらに一般への広がりを見せるようになった。

ごく普通の女子高生が、自分の下着をお小遣い欲しさに売るという行為の広がりは、当時の人々の寒心を誘ったが、ほどなく「援助交際」の社会問題化にまで発展した。

問題の根底には、売る側・買う側双方の、本当に必要な性教育・性情報などの欠如などによる、不均整なセクシュアリティ環境があると考えられる。。


DV [一般学術]

直訳すると「家庭内暴力」なのだが、その用語は1980年代に「子どもによる親に対する暴力」が問題になったときに、それを表す言葉としてのイメージが強くなってしまっており、それとは区別して「DV」と英語のまま使われるようになった。
これは、家庭内的な暴力でも、おもに配偶者間の暴力、またそこから準用して恋人間の暴力を指す。
酷いケースでは、顔にアザができたり、歯が折れたり、骨折に至るほどの暴行もあるという。またそこまで酷くなくても、すぐに平手打ちでいさかいを解決するような態度や、大切にしている物を壊す、無視・言葉による心理的ないじめなどを含めると、その数は相当なものになるだろう。
実態としては、夫から妻への、すなわち男性から女性への暴力である場合が圧倒的に多いとされる。そうしたジェンダー的な不均衡そのものに、DVを発生させる因子が潜在しているとも言えるだろう。

 


人跡未踏の地に人食い虎を見た! [文化全般]

往年のテレビの人気シリーズ『川口浩探検隊』のある回のサブタイトルとされる。
件の番組は毎回、謎の洞窟に探検隊がこれから入る様子を、カメラがその洞窟の中から写すなど、バレバレのヤラセが逆に可笑しくもオモシロイ番組だった。
しかし、さすがにこのサブタイトルは、「人跡未踏だった土地で、その人食い虎は今までどうやって人を食ってたんや!?」と、思わずツッコミを入れざるをえないところが、また逆に伝説として多くの人に語られるところとなった(が、じつはこの通りのサブタイトルは存在せず、ウワサに尾ひれがついて都市伝説的に広まったのが真相らしい)。