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好きの多様性 [専門学術]

人が他者に対して抱く親密感情・親密欲求の内実は相手ごとに多種多様に異なっていて単純に類型化することは不可能であることを意味する表現として台頭している語。
現行社会で卓越的な解釈コードでは、相手が同性なら友情、異性なら恋愛と単純化され、あまつさえ各々に固定的なアプローチの様態までが規定されてしまっている。
それゆえに、《「男女が1対1で付き合う」=「恋愛」》という価値規準を受諾できず、「異性に対して恋愛感情や性的欲求を抱く」を当然視した関係性観念から外れるケースに対しては、「同性愛」「バイセクシュアル」や「ポリアモリー」、あるいは「Aセクシュアル」「アロマンティック」等々の名称が必要になってしまっていると言うこともできるだろう
(このほか対物性愛や2次元萌えなども視野に入れたい)。
しかし実際のところは、多種多様な親密欲求を「異性」「同性」「恋愛」「友情」などの概念で切り分ける必要はないし、そもそも可能なのかとなると不可能だろう。
対人関係のルール、もしくは人と人の間柄を捕捉するための解釈コードが、「男女」という概念を通じて厳然と仕切られている現状は、あまりにも窮屈だ。相手に応じた個別の親密な関係、その質的多様性の実現によって、人と人との繋がりかたの可能性バリエーションが広がることは切に望まれる。
それによって現在は性的少数者の立場に置かれている人の存在も特異なことではなくなり、誰もが生きやすい社会環境につながる。当然に「男女で単なる友人」のような関係性の可能性も大きく広がるだろう。
既存の恋愛ルールは、男性ジェンダーを割り振られている人と女性ジェンダーを割り振られている人とが、恋人として「付き合う」以外の方法で親密に交流することを不可能化し、以てこの世界における「男女の分断」を引き起こし、両者の間に断絶の壁を築くことで双方のディスコミュニケーションを生成しているという側面もある。それが各種の性別役割規範などと結びつき、さまざまなジェンダー問題・性差別の温床となっていると言っても過言ではなかろう。社会的悪影響の幅広さという点では、単に「性的指向」をめぐるイシューにとどまらず、非常に根が深い深刻な問題と捉えるべきだ。
「好きの多様性」をもってして、そこのところをドラスティックに転換する意義は存外に大きいはずだ。


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(2023/07/24)
※当「用語辞典」ブログでは、記事日付は便宜上2016年になっていますが、記事初出年月は異なります
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