SSブログ
専門学術 ブログトップ

性の賞品化 [専門学術]

性の商品化ではなく、性の「賞品」化。
性の「商品」化の概念を踏まえたうえで、それを批判的に包摂したうえで、あえて同音になっている。
この社会に「男らしさ/女らしさ」規範が強固に敷設されているのは、もはや言うまでもないが、そこでは誰もが「女」「男」いずれかの属性を付与された上で、その付与された属性に応じて期待される役割をプレイすることを強いられていると言える。いわば「男らしさ/女らしさ」規範という名のゲームであり、そんなゲームのルールのなかで、たまたま資質に恵まれてハイスコアを出した人から順に与えられる prize に位置づけられているのが恋人、そして配偶者なのである、というふうに、さぁ、なってはいないだろうか!? という趣旨。
つまり、異性どうし1人ずつでつがいとなる結婚を自明視した社会通念に則った公の社会制度と、恋する相手と結ばれることに至上の価値があるという思想、すなわちロマンティック・ラブ・イデオロギーの悪魔合体で、私たちの「性」があまねく「賞品化」されている。それこそが男女二元的な性別規範と異性愛主義に則った現行社会のシステムになっている、という現状を表している。
換言すれば、この社会では、性愛は原則として「賞品」として供給されており、かつ「賞品」として入手したものこそが性愛として正統で尊いものとされている。そこでは「賞品」として入手する以外の性愛は価値が劣ったものと評価され、あまつさえ性愛の入手を商品としておカネであがなうなんてことは邪道だと、それ自体が半ば犯罪とみなされるわけだ。そして、誰もが社会生活にコミットする限りはこのシステムから逃れられない以上、恋人そして配偶者という名の賞品としての性にありつくためには、誰もが「男らしさ/女らしさ」ルールを遵守するために汲々としないといけないこととなり、このことは万人の行動をいつもどこでも規制する結果になっている、けっこう根が深い厄介な問題なのだと言える。
しかも、なんとか上手くやっていける人ならともかく「男らしさ/女らしさ」が不得手な人にあっては、このゲームをプレイするしか社会に居場所がないという状況は、すざまじい抑圧として機能することになる。いわゆる「非モテ」の問題などは、まさにそこだろう。非モテ男性が人生をネガティブに拗らせていく負のスパイラルに陥る背景などに対しては、まさにこの「性の賞品化」を当てはめることで適切に名付けができるようにも思える。
そうした非モテの問題はもとより、あらゆるジェンダーやセクシュアリティにかかわる社会問題の源泉がここにあると言っても、これは決して過言ではないかもしれない。


◇◇
(2023/07/25)
※当「用語辞典」ブログでは、記事日付は便宜上2016年になっていますが、記事初出年月は異なります
◇◇
◇◇




共通テーマ:学問

好きの多様性 [専門学術]

人が他者に対して抱く親密感情・親密欲求の内実は相手ごとに多種多様に異なっていて単純に類型化することは不可能であることを意味する表現として台頭している語。
現行社会で卓越的な解釈コードでは、相手が同性なら友情、異性なら恋愛と単純化され、あまつさえ各々に固定的なアプローチの様態までが規定されてしまっている。
それゆえに、《「男女が1対1で付き合う」=「恋愛」》という価値規準を受諾できず、「異性に対して恋愛感情や性的欲求を抱く」を当然視した関係性観念から外れるケースに対しては、「同性愛」「バイセクシュアル」や「ポリアモリー」、あるいは「Aセクシュアル」「アロマンティック」等々の名称が必要になってしまっていると言うこともできるだろう
(このほか対物性愛や2次元萌えなども視野に入れたい)。
しかし実際のところは、多種多様な親密欲求を「異性」「同性」「恋愛」「友情」などの概念で切り分ける必要はないし、そもそも可能なのかとなると不可能だろう。
対人関係のルール、もしくは人と人の間柄を捕捉するための解釈コードが、「男女」という概念を通じて厳然と仕切られている現状は、あまりにも窮屈だ。相手に応じた個別の親密な関係、その質的多様性の実現によって、人と人との繋がりかたの可能性バリエーションが広がることは切に望まれる。
それによって現在は性的少数者の立場に置かれている人の存在も特異なことではなくなり、誰もが生きやすい社会環境につながる。当然に「男女で単なる友人」のような関係性の可能性も大きく広がるだろう。
既存の恋愛ルールは、男性ジェンダーを割り振られている人と女性ジェンダーを割り振られている人とが、恋人として「付き合う」以外の方法で親密に交流することを不可能化し、以てこの世界における「男女の分断」を引き起こし、両者の間に断絶の壁を築くことで双方のディスコミュニケーションを生成しているという側面もある。それが各種の性別役割規範などと結びつき、さまざまなジェンダー問題・性差別の温床となっていると言っても過言ではなかろう。社会的悪影響の幅広さという点では、単に「性的指向」をめぐるイシューにとどまらず、非常に根が深い深刻な問題と捉えるべきだ。
「好きの多様性」をもってして、そこのところをドラスティックに転換する意義は存外に大きいはずだ。


◇◇
(2023/07/24)
※当「用語辞典」ブログでは、記事日付は便宜上2016年になっていますが、記事初出年月は異なります
◇◇
◇♪◇




共通テーマ:学問

ホモソーシャル [専門学術]

イギリス文学の分析を通じてE.K.セジウィックが練り上げた概念「ホモソーシャル」によれば、この私たちの社会は、その中心に各種の権力リソースを特権的に有する公的領域を置き、そこを男性の領分として割り当て、女性はそうした中心部から排除するかたちで周縁化し、それより外部を私的領域とすることで権力リソースから疎外しているというのが基本構造なのだと捉えられる。
それゆえに、男性ジェンダーを割り振られている者は、その中心公的領域の構成員となるための資質が不可欠となり、権力機構の担い手として適切にふるまうよう常に要求され続けることになる。
いわゆる「男らしさ」を確実に遂行することが必須となるのは、その一環である。その場が各種の「男らしい」とされる表象に満ちていることが、権力機構としての特権的位相に相応しいという評価と密接に紐付けられ、構成員どうしが互いに「男らしい」言動を行為しあうことが、その場を周縁である女性領域よりも優位に価値づける文化的装置として機能する。
加えて、私的領域とした女性領域を劣位に置き続けるためには、女性蔑視的な価値規準に従うことも重要となる。女性領域は性的な興味関心を向ける対象にすぎないものとみなすことはその核心のひとつだろう。同時に性的な興味関心を向ける対象をもっぱら女性領域に限ることで、男性ホモソーシャル内部からは性的な要素を排し、公的領域に相応しいとされる様相をを整えることも実現される。
これらがインセンティブとなり、構成員には常に「男らしさ」規範を遵守し半ば相互監視的に全員が「男らしい」ことを追求する力学が発生する。それらは構成員どうしが結束を強め連帯意識を確かめあうプロセスとしても働き、しこうして強固な「男同士の絆」に支えられた男性集団「ホモソーシャル」が現出し、その内部には苛烈なミソジニーと同性愛嫌悪の風潮が醸成されるのである。
じつのところ、さまざまな社会的事象はこうした構造上で起こっている。男性領域である特権的中心権力機構と周縁化された私的領域。個々人に対して社会的に割り振られるジェンダーが男女のいずれであっても各種ジェンダー規範によって各人のありのままのありように向けて抑圧は発生するが、それらがこうした不均衡な権力配分の社会構造の上にあり、その構造にこそ由来している、という俯瞰は重要である。ジェンダーに関わるあらゆる社会問題は、この男性ホモソーシャル構造と不可分だとも言えよう。ここを押さえることが、「男女不平等」「性差別」といったテーマを、いたずらに男女両カテゴリの個々人どうしの対立にミスリードしないコツでもあるだろう。


◎このほか、「ボーイッシュな女性はそれなりに存在できるのに男がスカートをはいたり化粧をすれば直ちに変態認定」「女性は多様性を認め合うことに相応に柔軟なのに、男性がなかなかそうできないのはソレを認めることで自分が男でなくなってしまう気がして怖いのかも」なども、おおむねこの男性ホモソーシャル構造をあてはめることで腑に落ちるところは大きい。


◎なお一般的にはセジウィックが唱えた「ホモソーシャル」は、上述したとおり男女各カテゴリの権力バランスが不均衡な位置関係を包含した概念として用いられ、この項でもここまでその用例に従っているが、一方でその構図は外して単に字義どおりに「性愛を伴わない同性どうしの親密な関係性に基づく集団」を意味しようという用法もある。


(2017/04/26)
◇―♪♪♪―◇



共通テーマ:学問
専門学術 ブログトップ