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DV [一般学術]

直訳すると「家庭内暴力」なのだが、その用語は1980年代に「子どもによる親に対する暴力」が問題になったときに、それを表す言葉としてのイメージが強くなってしまっており、それとは区別して「DV」と英語のまま使われるようになった。
これは、家庭内的な暴力でも、おもに配偶者間の暴力、またそこから準用して恋人間の暴力を指す。
酷いケースでは、顔にアザができたり、歯が折れたり、骨折に至るほどの暴行もあるという。またそこまで酷くなくても、すぐに平手打ちでいさかいを解決するような態度や、大切にしている物を壊す、無視・言葉による心理的ないじめなどを含めると、その数は相当なものになるだろう。
実態としては、夫から妻への、すなわち男性から女性への暴力である場合が圧倒的に多いとされる。そうしたジェンダー的な不均衡そのものに、DVを発生させる因子が潜在しているとも言えるだろう。

 


人跡未踏の地に人食い虎を見た! [文化全般]

往年のテレビの人気シリーズ『川口浩探検隊』のある回のサブタイトルとされる。
件の番組は毎回、謎の洞窟に探検隊がこれから入る様子を、カメラがその洞窟の中から写すなど、バレバレのヤラセが逆に可笑しくもオモシロイ番組だった。
しかし、さすがにこのサブタイトルは、「人跡未踏だった土地で、その人食い虎は今までどうやって人を食ってたんや!?」と、思わずツッコミを入れざるをえないところが、また逆に伝説として多くの人に語られるところとなった(が、じつはこの通りのサブタイトルは存在せず、ウワサに尾ひれがついて都市伝説的に広まったのが真相らしい)。

 


男女共同参画社会 [一般学術]

単なる法的な権利の上での「男女平等」から一歩進めて、社会生活のあらゆる場に男女が対等に参画し、共同でさまざまなはたらきをこなしていこうという考え方。
また、それを阻害する要因のひとつとして、旧来の性別意識・「らしさ」・ジェンダー役割にも目を向け、ひとりひとりの意識変革によって、それらを除去することも念頭に置いている。
現在、『男女共同参画社会基本法』も成立し、また内閣府には男女共同参画室というセクションが設置されている。

 


なおす [文化全般]

知られざる関西方言のひとつ。
全国区の『修理する』という意味のほかに、関西では『しまう』の意味にも使う。
よって「今日、買ぅてきた、このファンヒーター、どないしょう?」「まだ寒ぅないし、とりあえずなおしとこか」…という会話を聞いて、買ったばかりのファンヒーターのどこをなぜ修理するのだろうなどと思ってはいけない。これは押し入れかどこかにしまっておくのである。
また関東からの転校生が、先生がテストを返して「すぐになおしなさい」と言ったので、いっしょうけんめい間違ったところを直していたら、他のクラスメートは、さっさと答案用紙を机の中にしまっていた…というエピソードは、小学校の国語の教科書の方言の説明のところに載っていたりもする。

 


スケープゴート [一般学術]

一人だけ悪者にすることで、他の全員が知らん顔する場合の「身代わり・犠牲」のこと。
組織ぐるみの犯罪などで特定の個人にすべて罪を着せて組織自体は責任逃れしてしまうような場合をさして「スケープゴーティング」、ひとり罪を負わされた人が「スケープゴート」ということになる。
もともとは「野に放つ山羊」といった意味で、旧約聖書の祭祀で、一匹の山羊に人間の罪・穢をすべて乗せて野に放つ儀式から来ている言い回し(「贖罪の山羊」とも言う)。

 


夕陽ヶ丘の総理大臣 [文化全般]

1970年代の終わり頃のテレビドラマ。
中村雅俊が主役の熱血教師役の、いわゆる青春ドラマの末期の作品。
海辺での「先生っ!」という台詞を伴うシーンなどがお約束のごとく多かった。
エンディングでテーマ曲の終わりあたりに、画面にその日のストーリーに合わせた「詩」がスーパーインポーズされるのが、わざとらしいながらも感動的。